前回まで、主にビザ取得やアメリカ入国に関する事情を書いてきました。
僕は15年以上日本のゲーム業界で働いてきて、極めて優秀なプログラマが沢山いるのをよく知っています(IT業界全体でみるとどういう比率になるか知りませんが、日本のゲーム業界には会社を問わず、ちゃんとしたデザインや実装ができる優秀な人が多いです)。海外で活躍する機会はもっとあってもいいと思いますが、その際に大きな問題になるのが、ビザよりもむしろ英語力の壁なのではないでしょうか。
日本という国の構造的な事情として、日本人はあまり英語が出来ません。最大の理由はたぶん、その必要がないから、でしょう。他のアジアや欧州の人と話すとよく判るんですが、日本語の専門書の豊富さは非英語の中ではダントツです(中国の事情は知りません)。一方他の国では、大学レベルで学ぶようなことは、英語の本しかないというのが一般的な状況のようです。日本は明治以降に偉大な先人たちが尽力してくれたおかげで、あらゆる分野の専門書が少なくとも教養レベルでは十分すぎるところまで完全に日本語で用意されています。数学書や哲学書などの充実ぶりは特にすごいと思います。この文化資本はまだよく機能していて、コンピュータ関係の専門書でも新しいものが次々翻訳されて容易に入手可能であり、わざわざ英語の本を読んだりカンファレンスを聞いたりする必要がありません。よほど特殊な分野や最先端の話を追いかけるのでさえなければ、とても手に負えないくらいの勉強材料にあふれている、というのが現状でしょう。
というわけで日本の組織でプログラミングの仕事をする以上は、それがどんなにグローバルな製品開発であったとしても、無理に英語で頑張る必要はありません。せいぜい和訳されないAPIのドキュメントや、わずかな学術論文を読むことが出来ればいい、というのが僕の結論ではありました。ローカライズ業務にしても、自分が翻訳するわけでなければカタコトで済みます。ところが、いざ海外の企業や組織で働こうとした場合、そこでは次元の違う、ネイティブなコミュニケーションとしての英語力が必要とされてきます。海外の職場で働いてみたいとは思っていても、プログラミングスキルはともかく、同僚や上司とのコミュニケーションが不安でそこまで決断しきれないという人は多いと思いますし、その心配は正しいと思います。もちろん帰国子女だったり、留学経験があったりして英語圏で生活したことがある人ならば何の問題もありませんが、僕の知るかぎり、日本のゲーム業界にいるとても優秀なエンジニアの方々は、せいぜい GDC や SIGGRAPH に行く程度、ドキュメントは読めるけど会話はちょっと・・という人がほとんどです。そして僕もそうでした。
では実際に決意して海外に行って働くとして、どの程度の英語力があればいいのでしょうか。自分の人生の大きな決断をするにあたって、ここが一番気になるところです。僕もまだ働き始めたばかりで何ともいえないのですが、今感じていることを書いておきます。
英語力の目安として日本人が大好きな TOEIC。あちこちのブログなどにもありますが、残念ながらこれは英語ができないことを知るためのテストだと思います。僕は今までに3回受けました。最初は英会話経験ほとんどなし、英語の勉強といえば大学入試程度まで、という状態が出発点です。ベルリッツに2ヶ月くらい通い、初めて受けた 2002 年に 650 点(Reading 400 / Listening 250)でした。日本の大学卒業の理系のプログラマにはこういう人が多いと思います。その後ちょっと間が空いたのですが、また思い立ってベルリッツに3ヶ月くらい通い、2005 年くらいに再度受験して 780 点。さらに TOEIC 向けの勉強(過去問とか)をしてみたりもしました。リスニングは TOEIC 向けの勉強するとすぐ上がり、だいぶ傾向になれてから受けた 2007 年で 930 点、という感じでスコアは上がっていきました。5年もかけてだらだらやっていた感じですが、年に数ヶ月、仕事が比較的ヒマな時期にベルリッツに通ったり、通勤中に VOA や CNN のニュースを聞いたり、というような程度の勉強の仕方でした。
日本では TOEIC 900 を超えるととても英語が得意な方だ、という風に見られると思います。たしかにリスニングを続けると、日本で外国人と会議や電話をするときにもどうにかある程度のコミュニケーションはできるようになります。また、海外のカンファレンスなどで発表者が言っていることも半分以上はわかるようになります。
でもそれは本当にスタート地点にしか過ぎない、というのをいま強く感じています。
そもそもカンファレンスなどのプレゼンテーションや、論文発表で使われる英語は極めてシンプルでわかりやすいものばかりです。実際に海外の職場で働いてみると、想像できなかったくらいいろんな英語を話す人がいます。早い人、遅い人、口癖がある人、声が小さい人、クリアな人、聞き取りにくい人、さまざまです。慣用句やスラングも沢山あります。プレゼンテーションは聞けても、日常会話はちっともわかりません。毎日の仕事で同僚とのやりとりが7割しかわからなかったら、使い物になりません。
今は結局どうしているかというと、ほぼ一日ボイスレコーダをONにしておいて、聞き取り逃した大事な点がありそうなときは再確認しています。それでもわからないときもあり、何度も聞き返したり、再度話をしたりしています。これは時間もかかりますし、つらいです。まあいずれ慣れてくるだろうと思って頑張っていますが・・・。少なくともプログラマの現場で働くために必要な英語力は、TOEIC 900点台とかなんとかとは別次元にあるんだ、というのを強く感じました。どうしても TOEIC ではかるのであれば、980 とか 990 とかであれば、まあ安心してもよい目安だと思います。700点と930点はあんまり変わりません。
では海外転職前にできることは、他に何があるでしょう?
あくまで僕の考えですが、プログラマが海外の職場で働くため、という目的に関して考える限り、最低限話せるようになった後は(たとえば TOEIC 900 を超えた後)、ベルリッツなどの英会話学校に何年通ってもらちがあかないと思います。プログラマにはプログラマが共有する、表現とか言い回しとか、デザインパターンとかがあります。これをコミュニケーションに有効に活用できるようにしないと意味がありません。アーキテクチャや実行効率の話がストレスなくできないといけないんです。従って、プログラマと英会話するのが一番の近道だ、と言えると思います。
職場に英語が流暢に話せる同僚がいたら、とてもラッキーですよね。是非英語力を磨く手伝いをしてもらうといいと思います(あなたがいつか海外で働く気なら)。残念ながらいない場合。なんとかして友人を作りましょう。海外のソフトウェアエンジニアはみんな本当に日本のゲームプログラマに興味がありますし、最近は日本の各種カンファレンスにも結構たくさん来ています。留学生のインターンとかを受け入れて教える側になってみるというのもいいかもしれません。もっとも会社的にはその人の海外転職の手伝いなんかしたくないでしょうけど・・・。外資系のソフトウェアのセミナーなども良い機会だと思います。Google や MS などが行うセミナーは現場のエンジニアが喋ってくれますから、生の表現が沢山聞けていい勉強になります。活用してみてください。SIGGRAPH などの学会発表は、ここで目指す英語学習にはあまり役立ちません。
最短距離ではないかもしれませんが、多少くだけた映画やドラマを英語字幕つきで見るのもそこそこ有効なんじゃないかと思います。もちろん僕のように無謀に突っ込んでみて、現場で苦労する、というのも一つの方法だとは思います。他にももっといい上達方法をご存じでしたら、ぜひ教えて下さい。